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グラブルの根本的な攻略

グラブル攻略の基礎 ( http://deepgorikai.hatenablog.com/entry/2017/04/04/225136 ) についての情報です。年収攻刃と時間攻刃が厳しい初心者向け。

大学受験概論 勉強しないとYou are Do-Ley

これは何?

微差を格差に変えてしまう現代社会でDo-Leyにならずに生きていくため大学受験を鍛えぬこう!

そういうバイブスでやってきた、被告でわっしょい先生からの寄稿です。

前作『少し変わった子供のための教科書』よりもさらにハードコア、そして意外にもメロディアスな受験情報。学歴攻刃を強化したいグラブル攻略者は必読です。

被告先生のプロフィール

  • ダン・オブライエンが1500m走を犠牲にしたように、英語を捨てて大学受験に臨む
  • 東大在学中は、ポストハードコア家庭教師として、直感と生命力を重視するフィーリング大学受験を提唱し、教育業界と親御さんに激震
  • 従業員生活2年目にして、自分が歴史のDo-Leyであったことに気づく

大学受験とは何か

この世で最も原始的かつ野蛮な総合格闘技! それが大学受験!

Google! 友人! 全て使用不可! 頼れるものは己の肉体のみ!

哲学、幾何、代数、解析、物理、化学、地学、生物、地理、政治、経済、歴史、文学、神学。

それら全てを血肉化し日常化することこそが、受験生に課せられた過酷な使命である!

日常生活の中で遭遇する理不尽な二次関数、そして突発的な三角貿易に立ち向かうために、受験勉強は存在する!

国体の護持 = はてなブックマークの護持

人間の持つある種の承認欲求は、はてな村に究極学府を築くにあたり、大きな障害となる。その承認欲求は受験生の時間をむさぼり食うからだ。

なぜ受験生は勉強もせずにTwitter構文をやりこむのか。なぜ受験生は、己の全てを燃やして究極学府を目指そうとしないのか。


承認欲求の全てが問題なのではない。承認欲求の殲滅は、我々の目的とするところではない。駆逐すべきは、三次元承認欲求のみである。そこを御理解いただきたい。

明治初期やバビロン第三王朝の受験生にも、むろん承認欲求はあった。しかしその欲求は、五次元あるいは六次元の承認欲求である。少なくとも四次元はあった。どれほど志の低い受験生であっても、歴史の中での承認を求めたのである。

李徴はなぜ虎になったのか。詩家としての名を死後百年に遺そうとしたからだ。そして虎は人類史上最強の生物にかなり近いので、彼の名は教科書にのこった。

なぜイギリスの情報戦士は、命もいらぬ名もいらぬ孤独な戦いに身を投じたのか。女王陛下の承認のみを求めたからだ。彼らの得たものは、誰も知らない。


ひるがえって現代日本である。

スポーツ化した現代の受験しか知らない惰弱な受験生の求めるものは何か。それは同時代の1票である。今現在、生きてボタンを押せる者、ただそれだけの者による今夜限りの1票である。そんなものを大量に求めてしまうのが、現代日本の受験生だ。

無垢なる金の思想である。清らかな1票のイデオロギーである。

民主主義の極限の姿が、そこにはある。


金、暴力、民主。

俺、いま、ここ。

これは、パンクですらない。パンクとは、未来に飢えた人間による壮大な捕食行為である。

次元に対する飢えと渇きを忘れてしまった受験生は、このまま三次元承認欲求に身を任せながら滅びを待つのか。それとも、力の限りに受験なのか。

受験生なら、もちろん受験である。

平成、大きな物語

歌々ひ、舞々ふ人の常に曰ふ、やんやの声はこゝぞの時に聞くことなく、さらでもの時に聞くこと多しと

アダム・スミスのやばさや、SMAPの珍曲を知る者も少なくなった。

いまや21世紀。本来であれば民主主義のリスクに歯止めをくらわすべきFRB議長が、そして日本国憲法が、その場限りの多数派に屈している。

そして、人類の面白さを極限まで鍛えぬくべきアテンション業界も、いまや安易な四半期商売を繰り返すだけの集団になっている。


人類はもう、何が面白いのかわからなくなっているのだ。

個々の部族は、何が面白いのかわかっている。「面白くない人」などの言葉をキーにしてTwitterを探ってみれば、各部族にとってのバルバロイがどういうものであるのかはわかる。しかし、だからこそ、人類は何もわかっていない。数ヶ月おきに検索を繰り返してみれば、「面白くない人」という言葉の人類的空虚さは、よりいっそう明確になる。


人類がそんなありさまなのに、ビジネスパーソンは無駄に元気だ。大量の1票を集めたパフォーマンスの何が面白かったのかを、いっぱしの商人が、シャレではなく営利のために真顔で分析している。そんなザルでは、面白さの核をすくいとることはできない。ザルに残った形骸を下請けに回して、他人を使い捨てのDo-Leyにしているだけだ。

分析し模倣することが全く無意味であるとは言わない。しかし、そんなものはせいぜい利回り4%の投機行為である。資金の豊かな投資家たちは、市場が崩壊するまでは着実に財を増やしていくかもしれないが、その過程で多くのDo-Leyが貧乏クジをつかみ、冬に死ぬ蟻として廃棄されてしまう。


面白さとは、コミュニケーションのための記号のみによって生みだされるものではない。記号を扱うために練られた手法で分析しきれるものではないのだ。面白さの本体の90%以上は、どこか遠くの冥いところに棲息している。それは本来、やばいことだ。

にもかかわらず、投資家や、在任中の売上にしか興味のない経営者は、面白さをやばくないものとして扱いたがる。自ら、面白さはやばくないと思い込み、やばくないものを面白いものとして流通させようとしている。その行為は詰まるところ、「人間はやばくない」と言っているに等しい。

だから人間はDo-Leyになるのだ。

その時その場で「面白いことになっている」者は次から次へと現われるが、当たりを引き、無事に売り抜けることができた少数の者を除けば、Do-Leyの手元には何も残らない。

勉強しないとYou are Do-Ley

受験で歴史に名を残す道を捨て、三次元承認欲求に踊らされる道を選んだとしても、その道には次元が足りない。早晩、あれが崩壊する。

何が崩壊するのか。生きた人間が崩壊するのだ。正確に言うと、「人間が生きているということ」に対する信用が崩壊する。


今はまだ、生きた人間がボタンを押している。正確に言うと、「生きた人間がボタンを押している」と信じられている。

生きた人間がボタンを押す。それは本来、やばいことだ。

少なくとも生きているのだから、センター試験換算で100万点はある。さらに、何かを知覚して感受して判断してからボタンを押すのであれば、プラス10万点だ。それだけで、圧倒的な受験力と言える。


しかしその生きた人間は、現代日本のセンター試験で、どう評価されるのか。

その人間が目先のボタンのDo-Leyであれば、受験勉強をしていないので300点と評価される。300点の人間の未来には、他人の未来しか無い。他人のゲームの人数合わせに使われるしかないのだ。やりたくもない野球をやらされるだけのDo-Leyになることは確定している。そしてそのまま、Do-Leyで死ぬ。本来、100万点プラス10万点以上ある人間が、300点のまま死ぬのだ。800点の人間たちのDo-Leyになって死ぬのだ。

おかしいだろ。同じ人間だろ。生きてることの100万点をなめてるんじゃないのか、この社会は。


かつて、人間が投じる1票には、センター試験換算で10万点の重みがあった。今そんなことを言って、誰が信じるだろう。生きている100万点が数百点の不足のためにDo-Ley死にする世の中だ。Kichi-Guyじみているとしか言いようがない。

残念ながら、もはやこの現代社会に抗うためには、受験勉強しかないのだ。100万点が本気で100点を獲りにいくから受験はやばい。

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